理想と現実の折り合いをつけなくてはならない。自分の能力を客観視し、自分にあった仕事を選ばなくては。

日常

こんばんは。
徳島県にはサラダという名前の地名があるらしい。
明治に時代を先駆けしようとして、元の地名「皿田」を「サラダ」にしたのだとか。
なんとも間の抜けた話だね。

今日は部活の幹部交代式があった。
自分は去年引退したため参加する必要はないが、現役からの勧めで参加することにした。

本来はいないはずの4年生が1年生の席に混じっているという奇妙な状況。
『絶対に師範に「なんでお前いるんだ!」って言われますよ』と囃し立ててくれる後輩たち。
しかし悲しいことに、絶対に気づかれないという絶対的な自信があった。
だって俺、影薄いし…

そして結局、師範にも師範代にも気づかれずに会が終了。
わかってはいたが、やはり実際そうなると悲しいものがあるな…
もっと存在感のある人間になりたいが、自分には同期のような魅力はない。
そして、魅力がないから自信もない。

魅力がないから自信がないのか、自信がないから魅力がないのか。
どっちなんだろうな?

話が変わるけれど、ライブが嫌いだ。
舞台に立っている人はあまりにも眩しくて、対照的に自分の暗さを自覚させられるから。

自分が教授になることに固執したのは、自分も煌びやかな舞台の上に立ちたかったからだと思う。
自分にとって教授というのは、知識人の頂点であり、かっこいい存在だった。
そして大学生である自分は、ひとまず教授になるという人生のレールに乗れてはいる。
これからの自分の頑張り次第で、教授になれるかもしれないと甘い考えを持っていた。
しかし実際には、自分には研究に対する意欲も、才も、忍耐力も足りていなかった。

そして博士課程進学を考え直し、公務員試験を検討している自分は、また舞台の上を眺めている。
ワークライフバランスが整っている印象を受ける地方公務員か。
それとも、試験の難易度が高く、入ってからも仕事についていけるか分からない国家公務員か。
今の自分にとっては、国家公務員がかっこよくうつっている。

国家公務員になったら、国内外さまざまな場所で働き、いろんな考えを吸収して成長するのだろう。
そしてそんな自分は、いかに輝いていることだろうか。
そんな甘い妄想を膨らませている。

自分には、実力がないことくらいわかっている。
憧れはするけれど、きっと自分では仕事についていけない。
だから、しっかりと自分の能力を把握して、自分に合った仕事を選ぶべきだ。

それでもやっぱり、第一線で活躍する人たちに憧れてしまうのは、罪なのだろうな。

今日の公務員試験勉強時間:1.5時間
累計公務員試験勉強時間:21.75時間
累計公務員試験勉強時間(理想):27時間

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